溜醤油のしょっぱい人生

修士課程中退オタクがくだらないことを書き残すだけのブログです

1年半ぶりに飲む酒の味 〜治療を終えて〜

要約

今月、遂にうつ病の治療が終わる。1年半ぶりに飲んだビールはすごく美味かった。でも俺ってこんなに酒弱かったっけ。

 

本文

「とりあえず治療は終わりにしましょう!何かあったらすぐ連絡してくださいね!」

この言葉をどれだけ待ちわびたことか。

 

1年半前、大学院の修士2年だった俺はうつ病と診断される。北陸の山奥という過酷な環境が原因なのか、はたまた別の要因があるのかは定かではない。ここら辺の話は1つ前のブログに書いているので気になる人は遡って見てほしい。

 

同じ病気の経験者が知り合いにいたこともあり、診断されたその日から「しばらく酒は無理なんだな」と悟った。そんな心配をしている場合ではなかったわけだが、俺としてはこれに勝る屈辱はなかった。大学の4年間で酒類の製造に関わる勉強をしてきたやつが、酒を一滴も口にしてはいけない事態に陥るなど。

とはいえ、幸いにも酒を飲みたくて堪らないみたいなことにはならなかった。元よりそんな状態になるほど酒をがぶがぶ飲んでいたわけでもないので。下戸の血を半分引いてるからね、仕方ないね。

 

本当は禁酒生活で気づいたこととか書きたかったんだけど…、

 

 

 

 

 

 

何もない。

 

 

 

 

 

 

何もない。気づいたことなど。

「飲酒なんかしなくても生活できる」とか当たり前のことしか言えない。当たり前すぎる。もし酒を飲まなきゃ生活できないなら下戸の遺伝子なんかとっくの昔に滅んでる。

 

それくらい困ったことがなかったってことか。

 

 

 

そんなこんなで何も困ったことのない禁酒生活も遂に今月終わりを迎えたわけである。解禁日は奇しくも推しのアイドルのイベントが2つあった日。1つ目が終了し、次までまあまあ時間があったそのタイミングで

 

「"ビール飲んであ゙ー"するかぁ」

 

ってなった。

 

そして都合よく見つけたビアバーに1人で入る。

知っているブルワリーの製品のみを取り扱ってるところだったので何かと都合が良かった。

復帰後最初の1杯に選んだのはIPA。諸説はあるっぽいが、誤解を恐れずに表現するなら「ブリカスが産んだビール」と言えよう。

因みに化学屋にIPA美味しいよねと言うと

「え、お前イソプロピルアルコール飲んでんの?」

とか抜かすが、うるせえメタノール飲んでろ。

 

そんなことは置いておいて、これ↓が注文の品。

 

f:id:soysource723:20230421233248j:image

 

 

 

 

 

ウマーーーーーーベラス!!!!!

 

 

 

 

 

 

いやー苦い!記憶が薄れていたから余計に苦い!でもそれがいい。これでこそIPAだよなぁオイ。

 

そんでもってツマミに頼んだいぶりがっこクリームチーズも美味い。これ最初に思いついた奴に寿司奢りたい。

 

 

次は何飲もうかなとか思ってたら結構酔いが回っていることに気づく。完飲・完食したら早々に会計を済ませ、近くのコンビニで買った水をガブ飲みした。水分補給、だいじ。

 

 

 

こんなに俺って酒弱かったっけ。ビールならあと2,3杯いけたような気もしたが。まぁ、復帰したばかりなのでゆっくり慣れていこうと思う。

だから僕は大学院をやめた

・はじめに

色々落ち着いてきたので、拙文ではありますが書いてみます。タイトルにもある通り、私は在籍している大学院を中途退学することに致しました(書面上は今年度末まで在籍している状態となります)。

理由と致しましてはうつ病の発症によって就学困難な状態となったことが主に挙げられます。今回は発症前から退学を決意するに至るまでの経過を書いていきたいと考えています。今後同じような状態となった人達の救いに、少しでもなれたらと思います。

学部生と修士課程で所属していた機関が異なることや、修士課程の2年間を全てコロナ禍で送ったことなど、特異的な事項が多いため、参考になるかはわかりかねますが、無料で全部読めるので最後まで読んで頂けますと幸いです(テヘペロ)

 

_____________________

思いのほか長引いた就活から解放され、いよいよ本格的に研究に打ち込める。そう思っていた。

 

研究活動に対していまいち活力が湧いてこないのは、就活に力を入れてきた反動だと、当時は信じていた。

 

同じ週に2度入れられた口頭での研究発表もそつなくこなした。あとは修論作成に向けてデータ整理や追加実験を行っていくのみであった。M1で頑張った甲斐もあり、9月の時点でもう差程頑張りすぎなくとも良いような状態でもあった。

 

しかし、その辺から身体への異変を感じるようにもなった。活力が湧かない状態が予想以上に続き、頭痛なども出てくるようになった。1番酷かったのは寝付けの悪さだ。布団に入ってから2~3時間は入眠できず、それができても1~2時間で中途覚醒してしまう状態が何日も続いた。

ただこの頃は、就活の疲れが一気に来て生活リズムが乱れてるだけだろうと楽観視していた。それ故に、元の生活リズムに戻そうと、朝イチでの雑務を引き受けたり等の無理を繰り返したわけである。

 

今考えたら当たり前だが、諸症状が治まることはなかった。研究活動に対する意欲や集中力も低くなっていく一方で、指導教官から「就活が長引いたからこそ、ここから頑張って欲しいのだけど」とお叱りを受けるほどにもなってしまった。

 

この次の日だった。急に研究室へ行けなくなったのは。

 

布団から出られない。大学に行きたくない。何もしたくない。このままこの世からいなくなりたい。そういった負の感情が次々と押し寄せてくる。これはマズい。まだまともな自分がそう呟く。自分がまともでなくなる前にと、学生相談室へ連絡をとった。

 

そこからは早かった。指導教官へは暫く休むという通達が行った。病院も紹介された。病院からはうつ病だと診断された。内定先に現状を報告した。両親にも連絡した。両親からの勧めで実家に暫く帰ることとなった。

 

帰ってきてからは、これからどうしていくかを考えねばならなくなった。教官からは「ここまで頑張ってきたのだから」と言われ、両親からも言葉の端々から「できることなら修士号はとってほしい」という意思を感じた。内定先は修士以上の専門性を必要とするような業務内容ではないこともあり、「○○君の意志を尊重します」と言ってくれた。

 

辞めるべきか、続けるべきか。悩めば悩むほどに症状が悪化していくのを感じた。それを見ていたからか、両親がこう言葉を漏らした。

 

「いっそのこと辞めてスッキリするのも1つの手かもね」

 

もう悩むのをやめた。投薬治療を続けているのに症状が悪化し続けるこの現状をどうにかしたかった。どうせ研究室に復帰してもまたさらに悪化するかもしれないんだ。いっそのこと辞めてスッキリしてしまえばいいんだ。もう未練はない。終わりにしよう。

 

諸々面倒な作業はあったものの、どうにか自力で退学の手続きを行うことができた。そこからは症状も予想以上に早く回復していき、まだ投薬治療は続けているものの、「就労に特段の問題はない」と主治医の判断も貰った。そのため内定が取り消されることもなく、もう一度就活などという面倒な事態には陥らなかった。

_____________________

 

 

・最後に

身バレ防止のため少し伏せた部分があるのと、そもそもとして僕の作文力がゴミカスなのとで読みづらかったかと思いますが、これが僕が大学院を辞めるまでの一通りのエピソードです。

読んでわかるとは思いますが、1人で抱え込んでいたら、多分この文が出る前に僕はこの世からいなくなってたと思います。

 

今大学や大学院で研究をしている方へ。

「卒論は参加賞、修論は努力賞」などと言われたりしますが、そんな言葉には囚われない方が良いと思います。何かの拍子にその参加賞や努力賞が貰えなくなるような事態に陥ることが普通にあります。そんな時にこんな言葉を思い出してしまっては、精神衛生上とてもよろしくありません。また、ちゃんと論文を提出して、卒業や修了が認められたら、他の誰かが褒めてくれなくても、自分自身のことは褒めてあげてください。できた人はめちゃくちゃ凄いです。

 

また、身内や近くで僕のような状況に陥っている人がいる方々へ。

1人で抱え込んでいる状況が1番危ないと個人的には思っています。そうなっていると"生きたまま逃げる"という手段があることすら分からなくなります。綺麗事を言うようですが、支えてくれる誰かがいることで少しは楽になります。どうか、その誰かになってあげてください。生きるための道を示してあげてください。それが逃げることでも、立ち向かうことでも良いので。

 

皆様のこれからの人生に幸多からんことを。

それではまた。

【(個人的には)大切なご報告】

日頃よりこんなくだらない男にお付き合い頂きましてありがとうございます。たまさんこと溜醤油です。

 

私事ではございますが、10月中頃よりうつ病と診断され、治療に励んでおります。

現在は波はあるものの、症状は安定しております。しかしながら、集中力の低下(例:論文の内容が理解できない)等、回復する気配のない症状があることも事実です。

 

現在在籍している大学院についてですが、正直なところ中退が現実味を帯び始めてきております。「ここまで来たのにもったいない」等々思われる方もいらっしゃるかとは理解しておりますが、それほどの状況だということをご理解いただければと思います。

 

今回は重い話で申し訳ありません。また不躾なお願いではございますが、うつ病だからといって変に気を遣ったりせず、普段通りに接して頂ければ幸いです。最後に、これを読んでくださった皆様も、くれぐれも健康には留意してお過ごしください。

モンハンの思い出

はじめに

僕がグルミクを始めて間もなくして、まさかのモンハンコラボ。キリン装備の咲姫ちゃんがあまりにも解釈一致すぎたが、何よりこの「アイスボーンが終わってRISEの発売を待つ時期」にこれをやるのが驚いた。

 

多忙でやらなかった時期もあったが、アイスボーン自体かなり長く楽しめたので思い入れはある。そんなゲームとコラボしてくれたことには感謝するほか無い。もうすぐ終わるのが寂しく感じる。

 

僕のモンハン歴は同世代の中では短い方であると思う。しかし、やはりモンハンというのは中々やりごたえのあるゲームであり、この短い時間でもかなりの思い出を残すことができている。今回は初心者であった頃の話と、技量的な面で最盛期だった頃の話を書き残していきたいと思う。

 

1.モンスターハンタークロス

実はMHXが僕の初モンハンであった。「○○もやろうよ」とリア友から誘いを受け、やってみることに決めたのだ。発売当時は大学受験の時期であったため、受験が終わってからやるという約束があったのも何となく覚えている。

 

始めたての頃というのは何をしたらいいか分からないもので、操作もおぼつかず、モンスターにはビビってばかりであった。最初はアオアシラですら怖かった。

 

特筆すべきは集会所クエストのライゼクスであろうか。当時は1人のリア友が付きっきりで手伝ってくれていたのだが、あまりにも僕が力尽きるので「取り敢えず俺も先に進みたいから、隣のエリアで待ってて」と戦力外通告を言い渡されたのだ。彼とは今でも遊ぶ仲だが、「あれは申し訳なかった」とか「あれでモンハンやめなかったの凄いよ」とか今でも言われたりする。こちらこそ申し訳ない。笑い話にできて良かったとつくづく思う。

 

その後も装備のこととかよく理解できずに下位装備で上位ブラキに挑んでボコボコにされるなどしたが、周りのフォローもあってどうにかなった。

 

2.モンスターハンターダブルクロス

ようやく慣れてきたと思い始めた頃に発売されたのがXX。1番やりこんだのはこれだと思っている。

 

本作ではブレイブ、レンキンスタイルのほか、防具合成などが実装された。本作でネカマとなった僕は、とにかく可愛い見た目を追求することとなる。ウルクガムートのキメラ装備は我ながら最高傑作であった。そんな僕に目標が1つ生まれたのである。

 

大雪主一式が見た目の防具合成

 

大雪主とは白兎獣ウルクススの二つ名個体である。二つ名は武器や装備も通常種とは異なる固有のものが生産できるが、大雪主の女性用装備がとても可愛いと全ワイの中で話題になったのだ(URL: http://mhxx-soubigazou.info/equipment/rarexarmor/snowbaron/ )。

 

ここで、1つの問題が浮上する。2つ名装備の防具合成が開放される条件である。「超特殊許可クエストのクリア」。それはモンハンを始めて1年程度の若輩にはあまりにも高い壁であった。

 

あいつはただのウルクススではなかった。咆哮はするし、雪玉投げとヒップドロップは当たれば命はない。ケツアタックには掠っただけでもHPが半分以上もっていかれる。

 

何度も力尽きた

 

何度もリタイアした

 

諦めようと何度も思った。

 

それでも、リア友が別の超特殊をクリアしているのを見て、俺もやってやると思った。全ては可愛い装備のためであった。

 

 

そして何十回もの死闘の末…

 


f:id:soysource723:20210202013420j:image

 

ついに討伐に成功。筆舌に尽くし難い喜びの感情と、滝のような手汗が一気に溢れてきた。当初の動機などどうでもよかった。強い敵に何度も挑んだ末に勝利を得ることの喜びを知った。

 

紛れもなくこの瞬間が1番モンハン上手かった。

 

この瞬間が技術としてはピークであった。しかし、この瞬間があったからこそ、ワールド、アイスボーンでもモチベーションを高く持って遊ぶことができたと思っている。

 

おわりに

グルミクのコラボを機に色々思い起こしてみたが、始めて5年程度であるにもかかわらず語りきれないほどの思い出があった。

今後またさらに進化したモンハンで、さらなる楽しい思い出を作れたらと思う。

A study on the mental growth of Shinomiya Karen based on the stereochemistry of citral

邦題:シトラールの立体化学に基づいた篠宮可憐の精神的成長に関する考察

 

0. 要旨

 篠宮可憐は気弱な性格であるが,これを直すためにアイドル活動を行っている.その彼女が歌う"教えてlast note..."は,彼女がステージへ踏み出す姿と心情を,香水の香りの変化に喩えた歌である.本報では,この歌詞中に登場するシトラールに着目し,篠宮可憐に与える影響,歌詞に与える意味についての考察を紹介する.

 

1. 緒言

1-1. 篠宮可憐と"教えてlast note..."

 篠宮可憐とは,「アイドルマスター ミリオンライブ!」(以下 ミリマス)に登場する16歳のアイドルである.派手な外見とは裏腹に,非常に憶病で気弱な性格をしている.彼女がアイドルを目指した理由は,このような気弱な性格を直すため,また,同じような女の子達に自信を与えるためだとされている.

 その彼女がソロ3曲目として与えられたのが"教えてlast note..."である。"last note"とは,彼女の趣味でもあるアロマの用語である.香水をつけた際の最初の香りが"top note",数十分後程度で変化する香りが"middle note",最後に残る余韻が"last note"となる.気弱な自分を変えたいと願う彼女がステージへ踏み出す様とその時の心情を,香りの変化に喩えた歌となっている.

 

1-2. シス-トランス異性体

 ここでは有機化合物の二重結合のシス-トランス異性のみを取り上げる.炭素の二重結合に2つずつの異なる官能基が結合した場合を例にとる.このとき,主鎖(炭素数が最多となる鎖)となる炭素骨格が同じ側についたものをシス(cis)型,反対側についたものをトランス(trans)型と呼ぶ(fig.1).身近な例で言えば,マーガリンなどに含まれており,それによって騒がれているトランス脂肪酸のトランスがこれにあたる.

f:id:soysource723:20201115233541j:plain

fig.1 シス-トランス異性体の例

 

1-3. シトラール

 シトラールはレモングラスなどから採れる精油の主成分である.1組のシス-トランス異性体があり,シス型をネラール(neral),トランス型をゲラニアール(geranial)と呼び分けている(fig.2).ネラールは弱いレモン臭でやや甘みを伴う.一方でゲラニアールは強いレモン臭をもつ.ヒトに清涼感を与えるため香水や香料として用いられる.

f:id:soysource723:20201115234832j:plain

fig.2 シトラールの構造式.ゲラニアール(上)がトランス型,ネラール(下)がシス型であることがわかる.

 

2. 考察

2-1. "教えてlast note..."歌詞中におけるシトラールの役割

 本詞においてシトラールはトップノートとして登場している."軽いレモングラス"であるにもかかわらず可憐に"恋"を思い出させている.しかし,歌詞中に"真っ直ぐ気持ち届け!なんて やっぱり無理よ 自信持てなくて I'll cry"とあるように,可憐に自信を持たせるまでには至っていないことがわかる.サビにおいても,弱い自分から抜け出すために"オリジナルのブレンド"を作ろうとしており、シトラール単体による篠宮可憐への働きかけがかなり小さいものであることが推察される.また,シトラールはアロマとして精神への効能は特にないとされている.

 以上より,歌詞中においてシトラールは篠宮可憐を精神的に強くする働きをしていないことが強く示唆された.

 

2-2. シトラールの立体化学的見地を導入した"教えてlast note..."の歌詞考察

 1-3.においてシトラールにはネラールとゲラニアールという1組の異性体が存在していると述べた.fig.2 に示す通り,シス型のネラールは主鎖が折れ曲がった構造をしていることに対して,トランス型のゲラニアールは主鎖が直鎖状となっている.そこで,著者はこの構造を歌詞考察に導入する手法を考案した.

 はじめに,"恋"を思わせる程の鮮烈な香気であることに触れる.これにより,軽いレモングラスでありながら強い香気を放っていることが考えられる.1-3.で述べたように,強いレモン臭を放つのはゲラニアールである.そのため,このトップノートはゲラニアールが主体となって構成されている可能性が示唆された.

 次に,ゲラニアールの構造を踏まえて1番の歌詞について考察する.ゲラニアールは主鎖が直鎖状,つまりは"真っ直ぐ"である.歌詞中において可憐は真っ直ぐに気持ちを届けられるか自信が持てていないことがわかる.しかしこれは"自信が持てない"だけであり、実際は"真っ直ぐに気持ちを届けられている"ということが,ゲラニアールの構造によって暗に示されていると考えることができる.

 シトラールは"成長できている篠宮可憐"を表す1つの象徴として歌詞中に登場していると考えられる.そして,これを序盤に出すことによって,3曲目を歌う現在の可憐も"まだまだ成長途中である"ということを示していると推察される.

 

4. 結言

 本報では,シトラールの立体化学によって"篠宮可憐が成長している"ことが示されているという可能性を示した.今後ユニット曲やソロ曲の追加などを通して,さらに篠宮可憐が成長していく姿が表現されていくことが期待される.

Unlimited RAMEN Works 〜血肉を作ったラーメンたち〜

みなさま、ご無沙汰しております。たまさんです。

 

つい先日47都道府県すべてで緊急事態宣言が解除されました。まだ油断はできない状況ですが、少しずつ、少しずつ、普段の生活に戻していきたいですね(テレワーク等は除く)。

 

さて、これを読んでくださっている方の何割がご存知か分かりませんが、僕は3月に東京の某私大を卒業後、4月から石川の某大学院に進学しました。大学近くのアパートを借りてそこに住んでいますが、「最低限のものは揃っている」っていう感じで、まあまあ不便は感じながらも何とか生きています。

 

ただ、やはり不便なことに変わりはありません。これは特に僕が感じていることですが…、

 

ラーメン屋がない

 

…。まじでこれ…、つらすぎる…。

大学終わりやバイト帰りに気楽にラーメン食えたのがどれだけ有り難いことだったか、今更ながらに感じております。

 

今思い返しえみると、東京での学生生活はほぼほぼラーメン中心でした。昼にラーメン、夜にラーメン、飲みの〆にラーメン、バイト帰りにラーメン、麻雀打つ前の景気付けにラーメン…。

 

…いや流石に食い過ぎだな。

 

そら太るわ。

 

 

そんなわけで(?)、今回は東京でのラーメン生活を振り返りがてら、僕の血肉を形成したラーメンを紹介しようと思います。かつての生活圏がバレかねないけど、もう住んでないしシラネ。

 

 

1.武道家 龍 (成城学園前)f:id:soysource723:20200526224647j:image

成城学園前駅のスグ近くにある家系ラーメンのお店です。正直この店は1番思い入れが深いですね。

昼夜問わず元気なお兄さん方がラーメン作ってます。場所柄、成城大生や付属高の生徒がよくいます。彼らにとっての必修科目なのかも知れません。

僕が注文するのは9割方「味玉ラーメン/のり増しダブル、九条ねぎ/硬め、濃いめ、少なめ/ライス大盛り」です。同じものばかりだったもので、本名、好み、ライスの量全て覚えられました笑

(※写真で味玉が2つあるのはサービスして頂いたからで、普通は1つです)

 

舌にザラザラ感が残るスープ、そのスープと絶妙に合う九条ねぎ、秒単位でこだわったという味玉、スープに浸したのりと一緒に食うライス…。全てが僕の好みの味でした。

 

自炊がダルいときの昼食や、塾講バイトの帰りなど、さまざまなシチュエーションで足を運びましたが、一番思い入れが深いのは「実験で遅くなった帰りの一杯」です。その日は訳あって6:00-22:00で研究室に滞在していたのですが、帰りに気づいたらこの店に向かっていました。いざ着いて、出てきたラーメンのスープを一口啜った瞬間、その日の努力が全肯定されたような感じがして、今までも美味いと思っていたものがさらに美味く感じました。

 

とてもよくしてくださったお店だったので、東京最後の日にはちゃんと挨拶したかったんですが、例のアレで叶わなくなってしまったのがかなり心残りです。

近いうちにまた立ち寄って、しっかりと挨拶・近況報告したいです。

 

 

2.らーめん 陸 (上町)f:id:soysource723:20200526232133j:image

世田谷通りにある二郎インスパイア系のラーメンです。

4年間で色々試したりして、どれも美味かったのですが、4年生の時はほぼ「豚増しらーめん+豚増し/硬め、背脂、カラメ」(写真)で固定していました。

麺の太さやスープの基本的な味については本家二郎を土台としてしっかり残してる感じはありますが、かなり丁寧に構成されていてどこか優しさを感じます。二郎インスパイア界の特定保健用食品です。これはガチ。

そして何よりチャーシューが美味いんです。脂身プルップルの赤身はしっとり。これを安定して作ることができるんだから凄いです。かなり人気があるので豚増しが毎日数量限定になっています。財布と胃袋に余裕がある人は是非早めに入店して、豚増しに豚増しを重ねてみてください。

 

 

 

というわけで以上の2つ、紹介してきました。他にも千歳船橋のMAIKAGURAという、醤油系と鶏白湯系のところがオススメですが、僕自身の来店頻度を考えて今回はこの2つにしました。

何だかんだラーメンによる心の支えはデカかったんだなって最近になって感じています。この穴を埋めるのは容易じゃありませんが、どうにか心の拠り所を見つけたいところです。

 

さて、クソオタクこと僕がこのブログを開設してから結構経ちますが、全然オタクな話題を取り上げてないことに気づきました。なので次回は何かしらアイマスの話を書ければいいなと思っています。

 

それでは。